音楽をつくること。

相変わらずパソコンと睨めっこの日々。

東京はここのところ本当に天気がよく、コーヒーを片手にすこし歩くのも気分がよい。初めて見つけた古本屋をひやかしてみたり、学校からの帰り道では毎度のように黒いラブラドールレトリバーが横たわっていてずっと眺めていたりする。

未知の音楽との格闘も、たいへんだが楽しい。

音楽を組み立てるのは、見えないものをいかによくしていくか(どう聴こえれば「よく」なったかはあくまでぼくの主観のみだが)という行為であって、これは「親切」とかによく似ている。

これで誰かの気分がよくなればよいなあ、という気持ちで美しい音を重ねたり、機材のダイヤルをひねったりする。少しでもよくなるならば何度でも録り直す。

頼まれたわけでもないのにそうやってきれいなものを作ることは、ボランティアとか慈善の精神に近い気がする。喜ぶのは見ず知らずの人であるところも似ている。

なので、現在のぼくの精神状態はとてもすこやかといえる。いい人オーラがとても出ている。だからラブラドールレトリバーとかを微笑んで眺めたりしてしまう。

《よい/よくない、はあくまで自分の主観だ》とさっき書いたが、誰にだって音楽の好き嫌いはあって当然である。「あのアーティストは好みじゃない」とか「いま流行っているあの曲が耳障りだ」という気持ちは誰にだってある。

いい音楽/わるい音楽の区別は千差万別だが、ぼくに言わせれば、楽器のチューニング(調律)が合っているだけでそれはもう「よい音楽」である。

調和のとれた響きは、演奏者の「聴く人が心地よくなるように」という善意のあらわれである。そこにさらに小気味よいリズムが加わったり、コードがすこし進行したりした日にはもう聴いているこっちは気色がよくって仕方がない。

例えるならば、ちょうどよい温度に保たれた部屋を提供され、腹は空いていませんか、よければ風呂も沸いとります、マッサージはいかがでしょう、と手厚く迎えられるくらいのおもてなしのこころである。

なので、世の中の音楽はほとんどがよいものだ、と自分は思っている。黒板をひっかく音でも聴かせられぬかぎり、不快になることはない。あるとすれば「よすぎる」場合の嫉妬くらいである。

 

それでは、また