正月を迎えるムードが好きだ。
これを書いているのはまだぎりぎり2024年の夜間だが、近所はまるで静かで、空はおだやかだ。
東京に暮らす人のほとんどは東京で生まれ育ってはいないので、盆と正月ぐらい親の顔でも、ということでみなそれぞれの故郷へと帰ってしまう。景気のよい人はどこか遠くのリゾート地で羽をのばしているかもしれない。
なので今、この東京に残っているのは東京で生まれ育った人と、ぼくのような無精者だけという構図になる。それだけで街はずいぶん静かだ。
近所では水を撒いて門のまわりを掃除していたり、しめ縄や門松が飾られたりして、そこをぼくと同じくいかにも無精者といった風体の若い男が “どてら” を羽織り大きな買い物袋を下げて通りすぎる。いいなあ、ぼくも “どてら” が欲しくなった。
小さな頃の実家と変わらない、正月の風景。
身のまわりを清めて、飾り付け、そしてみな静かに黙っている。まるでだれかの訪れでも待っているみたいに。
そして訪れたものがよろこんでくれるよう、わざわいなどをつれてこぬよう、もてなしている。
いいなあ、つつましい文化だなあ。きっと大丈夫ですよ、いい年がやってきますよ、きっと。
さて、食文化に寛容だった我が家では、おせち料理を嫌う幼かったぼくにいつも大きなピザをとってくれるのだった。
大人はおせちを、ぼくは焼き豚だけつまんで、あとはマヨネーズたっぷりのピザを。TVからは「お正月を写そう」なんてCMソングが流れていたのも変わらない。
昼は父がラグビーだサッカーだ、とチャンネルを手放してくれない。はやく漫才が始まればいいのに、とぼくは思っている。
宿題なんてのもあった気がするが、きっと大した量ではなかった。三が日が過ぎてから、さっとすませてしまえばいい。クリスマスにもらったプレゼントがとにかくイカしてるから、宿題どころではないのだ。
なんてところが、今も変わらない。
さあ、大きな制作にとりかかろう。ぼくにもまだ把握できないほどの、大きなテーマを持った制作に。
きみを驚かせるのに十分なほどのニュースがすでにいくつもある。はやくそれを報せたくってウズウズしている。
来年もどうか付き合ってほしい。ぼくはきみを驚かせることだけが生きがいなのだ。