自分が音楽を志してまもないころに憧れた、年の差にすれば親の歳と同じくらいのミュージシャンの訃報はやはり耐えられぬものがある。
先日逝去が報じられた亀川千代さん、そしてゆらゆら帝国もそんなぼくの憧れのひとつだった。
彼らがデビューした1998年の国内音楽シーンといえばメロディック・パンク/オルタナティブ・ロックの最盛期、暗く倒錯した趣味のぼくが好むものはメインストリームには見受けられないものと探すのをあきらめていた。なんかみんな元気いっぱい、みたいなかんじだった。
当時は、まだYouTubeも存在せず、音楽シーンの情勢を広く得たいならばCS放送(スペースシャワーTVやViewsicなど)を観るしかなかった時代、それに加入している友人に頼んで録画してもらったMVの詰め合わせなどを、昔の人はよくザッピングしていたそう。(現在ではそんなCS放送の番組はYouTubeに載っている)
みんな元気いっぱいみたいな音楽の時代が続くなか、突然、なにかの間違いみたいに、異形のバンドがあらわれる。
ベルボトム、長髪、ファズ・ギター。
《搾って ぼくの真っ赤な血を全部 ああ》
ゆらゆら帝国の “発光体” のMVである。
メインストリームから目をそらして、60年代の地下に埋蔵された音楽にひとり夢中になっていたとき、まさにそのままの姿かたちをした彼らが画面に現れた。
こんなこと(まるでゴールデン・カップスの “銀色のグラス” のような)がこの時代に許されるのだろうか。もしも許されるなら、ぼくがやるべきこともあるんじゃなかろうか。
ぼくはこの1曲であっという間に彼らのファンになった。その後の快進撃はそのままぼくの希望と羨望になった。
彼らのライブはすごい。
なんの演出もなく、ただ定刻になったから、といった調子でメンバーがステージに現れる。
亀川千代さんがあの腰までとどく美しい髪をほどいただけで、大きな歓声があがる。
そしてはじまる曲は、『ミーのカー』(1999年)でもっともスローな “19か20” 。まるで盛り上がるなと言わんばかりの、観客を突き放すような選曲である。
その後も、両極のアルバム『しびれ』『めまい』(2003年)の同時発売など、ゆらゆら帝国の作品はつねにセンセーショナルではあったが、それに反してバンドはそれらの評価や賞賛をいっさい望んでいないようだった。
プロモーションもまったく行われず、毎回どこか知らない世界から作品だけが届けられるような感覚をファンはいだいていたのではなかろうか。
まるでどこにも存在しないような、存在。
そんなイメージにそのまま回答するかのようなアルバム『空洞です』(2007年)の発表でバンドはいよいよ未到の境地に達してしまった。
「もう坂本さんはライブでギター弾かずにマラカス振ってるだけらしいよ」なんて、まるで都市伝説のような噂を聞いても「そうだろうなあ」と思わされる、それほどに幻想的なバンドになっていた。
迎える2010年、ゆらゆら帝国が《完成してしまったから》という理由で解散を発表した。
ファンの噂では、ゆらゆら帝国はデビュー前から解散にいたるまでずっと同じスタジオを使っていて、毎週決まって同じ時間に同じ部屋が押さえられており、その使用時間は短くなることも長くなることもいっさいなかったらしい。そうだろうなあ。